中川先生ゆかりの手ぬぐいです。
高野先生ゆかりの手ぬぐいです。
中川先生ご愛用の羽二重の羽織です。
安房勝山藩 寺社奉行 一萬二千石
初代藩主 酒井越前守忠国公 伝来甲冑
浅野家分家 伝来 甲冑
中川士龍先生と雌狸の書
「山寺の 読経の鐘や
おぼろ月 士龍」
中川士龍先生は、生前鎌倉の地で雌の狸をこよなくかわいがられたと言われています。
無外流居合兵道考・指針より
無外流真伝剣法訣(無外流奥義書)
第十則 万法帰一刀 最後の句
「更に参ぜよ三十年」
無外流第十一代宗家
中川申一士龍 書
昭和四十三年十二月吉日
「龍翁書」とありますが、
中川宗家は晩年に號を龍翁と名乗られました
尚、落款は旧道號の中川・士龍で押されています
無外真伝流居合兵道
第十一代宗家
中川申一士龍 書
昭和三十年元日 書
禅語「碧巌録」代六則に見える語
常識的に言う「毎日が大安吉日」ということではない
自分を中心とする考え方を去って
環境の中に美なるもの真なるものを見出すものである
読「春風桃李花開くの日、秋雨梧桐花落ちる時」
本書は中川士龍先生が白楽天の長恨歌の一句を書かれたものである
守破離の教えをこの書に込めて残されました
無外流百足伝の巻の中にある
「兵法をあきらめぬれば元よりも
心の水に波は立つまじ」
と同じ境地である
まさにあきらめることは梧る事と同じである
守破離の守の時代から風の域に入ると、一つの風格が出来て師匠の
教えを守る時代から一歩進んで破る時代に成る
風の時代の修業が進めば空の境地に入ることと成る
白楽天の長恨歌はこの夢想の境涯であり、守破離の離の境涯に至る
時である
中川士龍先生は生前自ら陶芸を学ばれていました
中でもこの茶器をこよなく愛され、自らのお手前で楽しまれていたと言われています
お手書きの『萬法帰一』は、息を飲むほどの一筆です (右から左に書されています)
中川先生の息遣いが伝わってきます
芦屋のご自宅の書斎に掲げてあったもので、古木を拾われて自らお作りになりました
彫刻の文字は『無外居』と掘られており、この場所で数多くの無外流の書を残されました
古木の年輪が、刀身の地肌(板目肌柾かかる)に見えるのは気のせいでしょうか...
無外流流祖 辻月旦資茂の250回忌記念のぐい飲みです。
中川士龍先生が手ぬぐいに和蝋燭が塗り、その上に墨で直筆されたものです。
茶色くシミに見える部分は蝋が色づいたものです。昔は墨がにじまないように蝋燭を使って工夫されていたようです。
鎌倉松田邸庭先にて。
鎌倉にて。
上三個は中川申一士龍先生が遺された肉声録音テープ
下左側は肉声音声テープ(オープンデッキ)(無外流奥義)
下右側は8oテープ(無外流居合)
無外流居合奥義(演武者中川申一士龍第11代宗家)昭和35年9月撮影
上左
中川申一士龍先生 藤田先生、野口先生との対談(猫の妙術について)松田邸に於いて
上右
昭和46年1月16日 講師 中川申一士龍先生 テーマ 外戦
下
中川伸一士龍先生、猫の妙術の討論会 昭和46年1月3日 中川伸一士龍先生詩吟
古武道名人会(プログラム)
期日 昭和37年8月7日
午後1時30分
場所 国際文化会館
「しのび草」は、中川申一士龍先生没後に記された、お弟子さんによる先生を偲ぶ書です。
中川申一士龍先生直筆の『武威』についての下り。
(中川申一士龍先生研究手帳より抜粋)
闘戦経解題
海軍兵学校編
昭和9年9月15日発行
(中川申一士龍先生ご使用)
神戸高等商学校時代の追憶の中に中川先生が紹介されており大切に保管されていました。
著者である大森曹玄先生から中川先生に謹呈された本です。
表表紙を開けると大森曹玄先生の直筆の謹呈の書が花押付きで記されています。
尋牛
尋ねゆくみやまの牛は見えずして
只うつせみの声のみぞする。
尋ねある牛こそ見えね夏山の
こずゑにせみの声ばかりして
と、書かれています。
中川申一士龍先生直筆
中川家の由来の書(著書原本)
期日 修道学院剣道大会:昭和48年1月7日午前9時開始
日本古武道大会 :同上 午後1時開始
場所 鎌倉市公民館
中川申一士龍先生は生前高野弘正先生と深い交流を重ね、鎌倉の地に於いて修道学院を設立されました。また、鎌倉の由比ヶ浜において鉄筋の立派な道場を建てられ、剣道・古武道の後進の育成に尽力なさいました。
鎌倉においては多くの支援者を得て数々の立派な大会を開催される中、本大会は大会最高顧問に修道学院最高顧問元総理大臣岸信介先生を迎え、大会会長に修道学院長高野弘正先生、大会委員長に中川伸一先生を配して盛大に送られました。
同大会プログラムには小泉純一郎先生の協賛が記されています。
中川申一士龍先生のご家族より譲り受け、大切に保管しています。
茎の裏年期、元禄六年(1693年)二月は流祖辻月旦が無外流を興した年です。
そして、辻月旦が亡くなられたのは享保十二年(1727年)六月二十三日、享年79歳でした。
中川先生は無外流が始まった年の裏年期が打たれていることにこだわられたのではないでしょうか。
柿熟れて
風冷えひえと
夕近き
年代不明
鎌倉散策の折にこの俳句をお書きになったものと思われます。
道号が「龍翁」になっていることから、昭和43年1月2日以降の作と思われます。
年代:昭和52年正月
毎年のお正月にしたためられていたようです。
年代:昭和38年正月
お正月の書初めで「卯」を図案化して書されました。
年代:昭和32年
数少ない貴重な水墨画です。道号を士龍として、山水の絵を描かれています。
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